「AIを使う」と「AIに飲み込まれる」は違う。

無料メール講座最新情報をメールで受け取る無料登録ページへ

先日の週末は、土日ともずっと何かしらの予定が入っていて、めちゃくちゃ疲れました。

ただ、やっぱり人と会うのって面白いですね。

特に、普段まったく違う業界で仕事をしている人と話すと、
自分では知ることができない話が入ってきます。

 

考えたこともなかった話を聞いて、

「なるほど。そういう見方もあるのか」

と思うこともあります。

 

今回、特に面白かったのが、

「芸能界は、AIとどう向き合っているのか?」

という話でした。

 

聞いているうちに、メルマガやブログでの情報発信にも、
そのままつながる話だなと思ったんですよね。

 

 

芸能界では、AIをどう見ているのか

土曜日、子供の幼馴染の誕生日パーティーに呼ばれて、参加してきました。

もう10年近く、プライベートで付き合いのあるパパ友、ママ友たち。

職業も、本当にバラバラです。

 

その中で、芸能界とAIについての話になりました。

さすがに、ここでは言えない話もいろいろありました。

なので、言える範囲だけ書きますね。

 

その人の話では、日本だけでなく、アメリカなどのエンタメ業界でも、
AIの扱いにはかなり慎重になっているそうです。

 

権利や契約。

本人の声や肖像。

作品をどう扱うのか。

いろいろな問題がありますからね。

 

ただ、慎重だからといって、

「AIは使わない」

という方向に進んでいるわけではない。

 

音楽や映像、言葉など、制作のさまざまな場面にAIを取り入れる動きもあるそうです。

なんなら、AIっぽさを消すのではなく、

そのAIっぽさ自体を、作品の味として使う。

そんなことも起きているという話でした。

 

 

AIで完成させられるようになると、「作る経験」はどうなるのか

その話の中で、私が一番興味を持ったのが、ここです。

AIだけで音楽も映像も文章も作れるようになった時、

人間が「作る経験」をしなくなるんじゃないか。

という懸念でした。

 

例えば、音楽。

最初から、誰にも真似できないようなオリジナル曲を作れる人は、
そう多くないと思います。

 

好きなアーティストの曲を聴く。

真似して演奏する。

同じ音を出そうとしてみる。

同じようなものを作ってみる。

うまくいかない。

またやってみる。

 

そうやって技術を身につけ、感性を磨いていく。

その積み重ねの先に、自分らしいものが生まれてくるんですよね。

 

でも、AIにお願いすれば、それらしい形のものが短時間で出てきます。

便利です。

ものすごく便利。

 

ただ、その便利さによって、

真似する。失敗する。試行錯誤する。上達する。自分なりに変える。

という過程を、飛ばせてしまうこともある。

 

すでに経験や実力がある人なら、自分の中に判断基準があります。

出てきたものを見て、何が良くて、何が足りないのかを考えられる。

 

でも、これから経験を積む人や、自分の感性を育てていく人は、
その判断基準をどう身につけるのか。

そこが、難しくなるかもしれない。

そんな話をしていました。

 

 

整ったものが増えるほど、「不完全さ」が面白くなる

もう一つ、面白いと思った話があります。

AIによって、見た目や形の整ったものを作りやすくなる。

その一方で、減っていくかもしれないのが、

人間ならではの不完全さ。

 

ちょっとズレている。

ちょっと不器用。

ちょっと変。

普通なら直してしまいそうなクセがある。

 

でも、そういう部分が、作品の面白さになっていることもありますよね。

音楽でも、映画でも、ドラマでも、文章でも。

 

整えることばかりを優先すると、
その人らしい部分まで消えてしまうかもしれない。

だからこそ、その人にしか出せない表現や、その人の経験から生まれたものを、
作品の魅力にできる人は、むしろ重宝されるのではないか。

そんな話でした。

 

私はこれを聞いて、

まさに、自分が情報発信について考えていることと同じだな。

と思ったんです。

 

 

AIで書けばいい。でも、自分で書く経験も大切にしたい

私は、メルマガでもブログでも、ずっと言っています。

 

AIで書けばいい。

AIで作ればいい。

 

AIでできることは、どんどんAIにやってもらえばいい。

私は、そっち派です。

 

メルマガの原稿を書いてもらう。

一緒にテーマを考える。

構成を作ってもらう。

表現を直してもらう。

全部やればいいと思っています。

 

でも、それと同時に、

自分の経験から出てくるものは、これからもっと大切になる。

とも思っています。

 

だから私は、AIを活用する一方で、
AIを一切入れず、自分だけで書くメルマガも大切にしています。

自分で考えて、自分で言葉を選んで、自分で書く。

 

うまく書けないこともある。

後から読み返して、

「もう少し違う言い方があったな」

と思うこともある。

でも、その経験も、自分の中に残ります。

 

AIを使うことと、自分で書くこと。

どちらか一方だけを正解にする必要はないんですよね。

 

 

完璧に直しすぎると、その人らしさまで消えることがあります

自分だけで書いていると、いろいろ出てきます。

 

まだ浅い考え。

未熟な判断。

言葉足らずな部分。

タイプミスや、変換ミス。

 

普通は、全部きれいに直したくなりますよね。

「ちゃんとした文章にしなきゃ」

と。

何年もメルマガを書いている人でも、そう思うことはあるはずです。

 

でも、人間なんだから間違えます。

判断も間違える。

言葉も間違える。

漢字も間違える。笑

 

私は、そういう不完全さも含めて、
その人の作品になっていることがあると思っています。

 

例えば、

「この人、本当によく変換ミスするなー」

とか。

「今日はどんなミスをしているかな」

とか。

それで読んでもらっても、いいじゃないですか。笑

 

もちろん、間違った情報をそのまま伝えていい、という話ではありません。

わざとミスを入れようという話でもないです。

 

ただ、完璧ではないからこそ、親しみを感じることもある。

その人のクセや間、ちょっと変わった言い回しが、読者さんにとっての、

「この人らしさ」

になっていることもあります。

 

文章を整えることは大切です。

でも、整えすぎて、その人まで消してしまったら、もったいないんですよね。

 

 

AI臭さを消すことより、何が書かれているか

少し前のメルマガで、ルキノさんが、

「AI臭さとか、わざわざ消す必要ってあります?」

というような話をしていました。

私も、ほぼ同意見です。

 

どれだけAI臭さを消しても、中身がなければ、私は読みたいと思いません。

人間が一生懸命書いていても、同じです。

 

逆に、AIっぽい文章でも、

役に立つ。

面白い。

考えさせられる。

共感できる。

そういう内容なら、普通に読みます。

 

AIが書いたかどうかより、何が書かれているのか。

シンプルに、そこなんですよね。

 

だから、AIっぽい表現を一つずつ消すことに力を使うより、

「自分は何を伝えたいんだろう」

「読者さんに、何を持ち帰ってほしいんだろう」

と考える方が、私は大切だと思っています。

 

 

AI臭さも、人間臭さも、自分の発信の味にしてしまえばいい

そして、ここから先が、もっと面白いと思っています。

 

AIが文章を書く。

そこに、その人の経験や本音が入る。

失敗した話もある。

未熟だった頃の話もある。

その人独特のクセや、言い回しもある。

 

そういう、

人間臭さ

が入ってくると、ただ整っているだけの文章ではなくなります。

 

さらに言えば、AIっぽい言い回しや構成だって、
全部消す必要はないと思うんです。

読みやすくて、伝えたいことが伝わるなら、そのまま使えばいい。

むしろ、それも含めて、

自分の発信の味にしてしまえばいい。

 

AI臭い。

人間臭い。

両方ある。

でも、なぜか読みたくなる。

それでいいじゃないですか。

 

AIを使っていることを、必死に隠す方向ではなく、
AIを使っていることも含めて、自分の作品にする。

 

AIだから出せるもの。

人間だから出せるもの。

その両方を使う。

 

これも、これからの「AIを活用した物作り」の一つの形なんじゃないかなと思っています。

 

 

ただし、AIに丸投げして終わり、という話ではありません

ここは、ものすごく大事です。

 

AIに、

「なんか良い感じのものを作って」

とお願いする。

出てきたものを、そのまま出す。

それだけを繰り返す。

 

私は、それでいいとは思っていません。

自分で考えたり、試したり、結果を確かめたりしなければ、
自分自身の経験が積み上がりにくいからです。

 

AIを使うなら、徹底的に使ってみる。

どう頼めば、伝えたいことが形になるのか。

どこまで任せられるのか。

何が得意で、何が苦手なのか。

出てきたものの、どこを残して、どこを変えるのか。

そうやって試すことも、立派な実践です。

 

逆に、自分で書くなら、徹底的に書いてみる。

何百本、何千本と書く。

うまくいかないこともある。

読まれないこともある。

そこで考え、改善する。

 

AIを使う場合も、自分で書く場合も、自分の経験値を増やしていく。

ここは、変わらないと思っています。

 

 

実際にやった人の言葉には、重みがあります

AIを大して使ったことがない。

でも、AIについて語る。

 

自分ではほとんど書いていない。

でも、文章について語る。

 

実践していない。

結果も見ていない。

それなのに、

「こうすればいい」

と言う。

これでは、やっぱり弱いと思うんです。

 

実際にやってみる。

失敗する。

別のやり方を試す。

結果を見る。

そこから、自分が分かったことを話す。

だから、言葉に重みが出るんですよね。

 

きれいにまとまった説明だけではなく、

「やってみたら、ここで止まりました」

「こう考えていたけれど、実際は違いました」

という話ができる。

そういう内容は、その人の経験があるからこそ出てきます。

 

答えを知っていることと、自分で経験したことは、同じではありません。

私は、ここがこれから、今まで以上に大切になると思っています。

 

 

私は「楽して稼ぐ」を徹底的に追いかけています

例えば、私なら。

ずっと、

「どうすれば楽できるか」

を考えています。笑

 

面倒なことをしたくない。

できるだけ効率化したい。

自動化したい。

人に任せたい。

AIに任せたい。

ずっと、それを徹底的に追いかけてきました。

 

ただ、「楽をしたい」と言っているだけでは、何も変わりません。

 

どうすれば手間を減らせるのか。

どこを任せればいいのか。

任せたことで、別の問題が起きないか。

実際に試して、うまくいかなければ変える。

それを繰り返しているから、新しいやり方も見つかります。

 

「楽をする」を、誰よりも真剣にやっている。

ある意味、これも一つの実践ですよね。笑

 

 

何を選んでもいい。選んだものを、徹底的に実践する

AIを使う。

AIを使わない。

自分で書く。

AIに書いてもらう。

自動化する。

手作業でやる。

何を選んでもいいと思います。

 

でも、選んだものを、

徹底的に実践する。

ここです。

 

AIが簡単に答えらしきものを出してくれる時代だからこそ、
自分でやってみた人の経験には、価値があると思っています。

AI臭さを消すことだけに、力を使う必要はありません。

 

自分で経験する。

自分で考える。

そこで感じたことを、発信に入れる。

そのうえで、AIを使いたければ使えばいい。

 

AIっぽさも、人間っぽさも含めて、

「この人の発信は面白い」

と思ってもらえたら、それでいいんじゃないでしょうか。

私は、そう思っています。

 

 

追伸:「東京は住むところじゃない」と聞くけれど

そういえば、よく聞きません?

「東京は住むところじゃない」

って。

 

私はもう長く東京に住んでいますけど、個人的には、

めちゃくちゃ住みやすい。

と思っています。

 

もちろん、場所によりますけどね。

私が暮らしている範囲では、買い物もしやすいし、移動もしやすい。

治安も比較的いいと感じていますし、意外と自然もあります。

 

地域によっては、近所付き合いもちゃんとあります。

昔ながらのお祭りや地域イベント、学校行事もある。

一方で、近所付き合いが負担なら、少し距離を置くこともできる。

その自由さも、私は住みやすいと感じています。

 

そして、東京に住んでいて大きいと思うのが、

人との出会い。

です。

 

全く違う仕事をしている人。

全く違う世界にいる人。

普段の仕事だけでは、なかなか知り合わないような人と会う機会があります。

今回のように、自分では知ることができなかった話を聞けることもある。

そこから、仕事につながることだってあります。

 

もちろん、東京が合うかどうかは、人それぞれです。

ただ、住んだことがない状態で持っているイメージと、
実際に暮らして見える景色は、違うこともあります。

 

これって、今日の話と同じなんですよね。

 

AIも。

メルマガも。

東京も。

 

実際に使ってみる。

実際に書いてみる。

実際に住んでみる。

 

そうすると、外から見ていた時とは違うことが分かります。

だから最近、改めて思います。

 

イメージや思い込みより、経験。

結局、ここなんですよね。

無料メール講座最新情報をメールで受け取る無料登録ページへ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

アクセス解析の設定

プライバシーポリシーを確認

計測設定を確認しています。