
昨日、瞳亜さんがXでこんな投稿をしていました。
うわ。パクリ見つけてしまった。
この前の有料が無料をパクるじゃないけど
古参が新参をパクる。
酷いな。
この投稿を見て、あることを思い出しました。
それは、少し前にしばっこさんが書いていた
「パクリコンテンツ」に関するメルマガです。
この話が面白かったのは、
単純に「パクリは悪だ」で終わらないからです。
実際、現実のビジネスの世界では、
“似たもの”や“後追い”なんて当たり前のように起きています。
ネットビジネスの世界も、もちろん例外ではありません。
だからこそ、この問題は
善悪だけで片づけると見えなくなるものがあるなと思いました。
パクリは、本当に一律に悪なのか
しばっこさんのメルマガでは、
こんな趣旨のことが書かれていました。
- 現実のビジネスでは、パクリのような構造は珍しくない
- ネットビジネスの世界でも同じことが起きている
- 問題なのは、「パクリは悪だ」と言っている側が、実は平然と真似していること
- パクリそのものを、一律に悪と断言するのは難しい
- ただし、「オリジナル性」を売りにしている人がやると話は別
この整理はかなり本質的だと思いました。
たとえば企業の世界を見れば、
後発が先発の仕組みを取り入れるなんて珍しくありません。
退職代行、宅食、家事代行、サブスク。
どのジャンルでも、先に始めた会社がいて、
その後に似たサービスが増えていくのは、むしろ自然な流れです。
アパレルもそうですし、
コンビニの商品だってそうです。
ある会社で売れたものに近いものが、
別の会社から出てくることはよくあります。
そういう現実を見れば、
「真似すること」そのものを全部まとめて悪とするのは難しい。
ビジネスの世界には、
そういう構造がもともとあるからです。
でも、それでも“話が違う”ケースがある
ここで大事なのは、
何を真似したか以上に、その人が何を売りにしているかなんだと思います。
たとえば、
- 自分だけの視点です
- オリジナルの発想です
- 私だから書ける内容です
- 独自の考え方です
こういうものを前面に出している人が、
実際には他人の言葉や構成を借りていたとしたらどうなるか。
それは単なる「参考にしました」という話では終わりません。
なぜなら、そこには
信頼そのものを売っている側面があるからです。
商品そのもの以上に、
「この人の発信だから読む」
「この人の考えだから価値がある」
そう思われている人が、裏でパクリをしていたら、
傷つくのは作品だけではなく、その人の信用そのものです。
ここが、
企業同士の後追いや模倣とは決定的に違うところだと思います。
“オリジナル”を売りにしながら、借り物で生きる苦しさ
今回の件を見ていて感じたのは、
怒りよりも、むしろ別の感情でした。
正直に言えば、
「ただただ可哀想だな」
という感覚です。
オリジナルを語りながら、
実際には自分の中身で勝負できない。
だから、誰かの言葉を借りる。
誰かの視点を借りる。
誰かが積み上げたものを、自分のもののように見せる。
そして、それを1回ではなく、
10年、20年と続けていく。
本人としては、
上手く立ち回っているつもりなのかもしれません。
でも外から見れば、
それはかなりしんどい生き方に見えます。
なぜなら、本当の意味で
“自分の土台”が育っていかないからです。
表面だけは取り繕えても、
中身はずっと借り物のままです。
それで長くやっていくのは、
想像以上に空しいことなんじゃないかと思います。
パクリが問題になるのは、信頼を壊すから
結局のところ、
パクリが問題になるかどうかは、
行為そのものだけでは決まらないのだと思います。
ビジネスの世界では、
似たモデル、似た発想、似た商品が生まれるのは普通です。
でも、
「この人にしか出せないもの」
「この人の頭の中だから価値があるもの」
そう思われている人が、実は他人のものを借りていた。
その瞬間に、読者や顧客との関係は一気に崩れます。
失うのは、一時的な評判だけではありません。
積み上げてきた信頼、イメージ、期待。
そういう目に見えない資産が、
一気に壊れてしまう。
だから私は、
「オリジナル」を売りにしている人が、
裏でパクリを続けるのは相当まずいと思っています。
最後に
パクリは悪か。
それともビジネス上では当然のことか。
この問いに、
きれいに一言で答えるのは難しいと思います。
ただ少なくとも、
オリジナル性や属人性を価値として売っている人が、
裏で他人のものを借り続けているなら、
それはかなり危うい。
なぜなら、最後に壊れるのは
商品ではなく、信頼だからです。
そして、そうやって長くパクリで生きている人を見ると、
すごいとか、したたかだとか、
そういう感情よりも先に、
やっぱり
「可哀想だな」
と思ってしまいます。
最後に
しばっこさんのメルマガを
原文そのままで載せておきます。
—– ここから —–
- タイトル
パクリコンテンツに関して。
- 本文
どうも、しばっこです。
以前私が
・・・・・・・・・・・・・・・
>すごいパクリコンテンツで
>一方は完全無料
>もう一方は3万ほど
>ってのを発見してしまったかもしれない。
>しかも無料の方が
>恐らくパクられ元
・・・・・・・・・・・・・・・
って編集後記を書いたの
覚えてますか。
あの内容を草薙さんが
エックスで書いたら
インプレッションが
なかなかな伸び方をしていまして。
私としては
そのパクった人を
エックスで晒してやるぜ~~♪
とかには興味ないんですけど
「他人のコンテンツをパクる」
ってことについて
ビジネス的な観点から
少し考えてみました。
長いです。
お風呂に入りながら
夜にでも読んでいただけると幸いです。
↓ ↓ ↓
あれは忘れもしない小2の夏。
図工の「絵」に関して
私はパクリの嫌疑をかけられた。
「しばっこちゃん、私の絵、パクったでしょ」
え・・・
パクってないけど。
なんならA子ちゃんの絵
完成まで一度もみたことなかったし。
大好きだった猫モチーフの絵。
「猫」ってテーマが被ってただけだった。
「パクってないよ」とは言ったけど
A子ちゃんの顔は不服そうだった。
陰でこそこそ何か言ってるのも聞こえてきた。
なんとも、嫌な感じ。
私、パクってないのに。。。
それから数か月たった図工の授業。
自分が好きなものを題材に
水彩画を描こう!って内容だった。
私は中央に天秤の絵をかき
左に春のもの
右に秋のものを
シャボン玉の中に描いた。
私は秋が好きだった。
秋生まれだし
ブドウや柿など秋の果物が好き.
黄色のイチョウや
赤の紅葉も好きだった。
だから天秤は秋側に傾けて
「春もいいけど、やっぱり秋が好き」
ってタイトルを付けた。
我ながら力作。
と、そんな時に目にしたのは
A子ちゃんの絵だった。
中央に天秤が書いてある。
天秤…?
左右に配置されているのは
春秋のものではなかったけれど
一方に好きなもの
もう一方に嫌いなものが
同じくシャボン玉の中に描かれていた。
天秤なんてものを
中央に配置
しかもシャボン玉の中に
ものを描こうなんて発想は
そうそう被るものではない。
A子の方がパクってるやん。。。
すぐ、わかった。
そして以前は
私のことをパクったと罵ってきたA子ちゃんは
今回私には何も言ってこなかった。
当たり前だ。
パクった側なんだから
文句を言えるはずがない。
イラっとした。
・・・・・・・・・・・・・・・
で、私は思うわけです。
特に小学校~中学校あたり
多感なあの時期。
人は「パクリ」に対して
すごく敏感になるよなと。
○○ちゃんが服をパクってきた。
○○ちゃんが筆箱をパクった。
○○ちゃんが習い事をパクってきた。
こんな話を
かなりの頻度で聞いてきた。
習い事なんて数が知れてるんだ
そりゃ被ったりもするだろうに。
でも小中学生は容赦がない。
パクった、ウザい、キモイ、ありえない。
平気でそんな言葉が飛び交う。
このようにして
「パクリとは悪である」
という文化、風潮が
日本の小さな社会では
正義として醸成されていくのだなと。
そんなことを思った小2の秋。(嘘)
でも時は移り変わり
「社会」というステージに出ると
あの頃の常識が
全く通用しなくなってることに気付いた。
むしろ
「パクリとは悪である」
一転。
「パクリこそ正義」
少し語弊があるかもしれないけど
ビジネスという文脈において
パクることが当たり前に行われていることに
私はかなり驚いた。
というか
成功事例はどんどん取り入れ
どんどんパクらなければ
資本主義の名の元
市場に存在することすら許されない。
そんな時化た社会の荒波が
目の前に広がっていた。
社会経験として
AD(アシスタントディレクター)
しかない私が
そのことに気付いたのは
ネットビジネスをスタートしてからだ。
私はまだ
本当の意味での社会
に染まっていなかったので
「パクりとは悪だ」
という常識の中で
生きていたのだけど
なんてことはない。
ビジネスモデルをパクるケースもあるし
人気商品をそのままパクってることもある。
技術をパクってることもある。
平気でパクる。
例えば退職代行サービス、モームリ。
「会社を辞めたいけど、上司に直接言えないでやんす。。」
というニーズを
見事に組みとったサービスだけれど
モームリは元祖ではない。※言及範疇の問題で消えたけど。
・EXIT
・SARABA
・ニコイチ
などなど、
ビジネスモデルとしては
元々存在していた。
それを後発と言えば聞こえがいいけど、
他の起業家がパクった。
先発企業が
大量に資金と労力を投下し
リサーチし発掘した
まだ隠れていた市場ニーズ
ここから生まれた
汗と涙の結晶のビジネスモデルを
後発企業は
そっくりそのまま攫っていくのだ。
こう聞くと許せない、と思うかもしれない。
けれど社会では
・宅食サービス
・家事代行サービス
・各種サブスクサービス
どこかが先発
そして必ずどこかが後発で
ビジネスモデルをトレースする
なんてことは当たり前のことになっている。
レンタカーやカーシェアリング
時間貸しの駐車場だってそうだ。
「各社」が無数に存在している状態が
当たり前になっている。
ビジネスモデルには特許がない。
商品でのパクリで言えば
アパレル業界が分かりやすい。
これは草薙さんに教えてもらったことだけど
アパレルも場所を絞れば
パクりパクられが日常化していると。
確かに駅ビルの
同価格帯、同フロアを巡ってみると
「え、さっきの店にも同じのあったよね」
って衣服が溢れかえっている。
シルエットも色味も、ほぼ同じ。
でもそれを見て
「パクリだ!許せない!」
と騒いでる人はいない。
それが当たり前の世界だからだ。
コンビニの食品だってそうだ。
各社同じような商品を並べている。
・からあげ
・スイーツ
・おにぎり
・季節限定商品
セブン-イレブンで売れたものは
ファミリーマートや
ローソンが似た商品を出す。
これは業界の当たり前の動きになっている。
もうお分かりかと思うが
このパクり散らかされている世界線で
「パクリとは悪だ」
の論理のままでは
生き残ることはできない。
あの商品売れてるみたいだなぁ…
でもA社さんが
一生懸命開発したものだし…
私は私のオリジナルを追求したいな。
だって自分がパクられたら嫌だもん。もんもんっ
などと言ってる場合ではない。
そんな綺麗ごとを言っていたら即刻窓際。
それどころか
あなたの上司は
嬉々としてこう叫ぶはずだ。
「なぜ遅れを取っている
我が社も即、取り入れるのだ」と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで話を冒頭に戻そう。
私が発見してしまった
パクりコンテンツだけど
上記で出した
ビジネスの事例で考えると
なんら問題はないように思える。
人が出したコンテンツが話題になっている。
話題になっていると
分かるやいなや
「さぁ私も便乗しよう」と
他人が一生懸命発掘したニーズを
後から攫いトレースし
「売れる商品」のモデルを手に入れる。
企業が他社商品をパクることと
なんら変わりないように思える。
ただ今回
一点だけ問題だったのは
パクった側の普段のブランディングだ。
例えば。
具体的な個人名は書けないけど
昨年末頃に有名なイラストレーターが
「無断トレースをした」
ってことで世間から
バッシングを受けたことは
記憶に新しいと思う。
本当に存在してるかのような
人物描写が評価を受けていた方だが
実在の人物を
無断でトレースしていたと。
これが最初から
「私は実際の人物に許可を取ってトレースして書いてます」
と理解されていれば
なんら問題はなかったと思う。
けれど、
このイラストレーターは
それを公言していなかった。
つまり真偽や気持ちはともかくとして
今まで積みあげてきた
「信頼」「イメージ」「ブランディング」
これが一瞬で
崩れてしまったのだ。
例えば私。
私はと、自分でいうのもだけど
わりと「属人性」がある文章を
書く方だと思う。
頭の中パカーン的な。
なんなら普段から
そういう心がけをしている。
だからこそ
ここまで読んでくれてる方も
多いのではないかと思っている。
では。
後にこのメルマガが
誰かのものをパクっただけもの
だと知れたらどうだろう。
しばっこの頭の中と思ってたものは
「誰かの脳みその二番煎じ」
だったわけだ。
これは恐らく
大多数が失望すると思う。
私は目の前の
しかも一時の利益のために
今まで何年もかかって積み上げてきた
あなたとの関係を失うわけだ。
今回の
パクリコンテンツを発見した際
私の中ではこれと同様の反応が起きた。
「まさかこの人が、この形で?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・
まとめに入る。
つまり「パクる」という行為は
総じて否定されているわけではない。
企業がビジネスモデルや
他社の商品をあからさまにパクったとしても
世間の感想は
「最近同じようなサービス増えたな」
「最近同じような商品出まくってるな」
で終わっていることが多いはずだ。
けれど普段から
「自分だけの固有のもの」を打ち出している、
あるいは求められている人の場合
○○さんの発信だから読みたい
○○さんのコンテンツだから読みたい
○○社の作品だから観たい
○○社のブランドだからほしい
こういった期待が裏切られ
「他の何かをパクっていた」
と判明した時の世間の目は
「同じような商品出まくってるな」
の時とは正反対になる。
つまり信用や信頼が地に堕ちるのだ。
バレないだろうし大丈夫だろう。
そういった考えは
固有のものを求められる人においては
慎重になった方がよいのではないか。
そんなことを
パクりパクられた
コンテンツを眺めながら思った。
では。
しばっこ
・・・・・・・・・・・・・・・・
◆編集後記
久々に聞いてみよう。
今日のメルマガ読んで
あなたはどう感じました?
例えば
ビジネスモデルをパクる
ということに対して。
例えば
人のコンテンツをパクる
ということに対して。
私が書いたことが
正解ってわけではないから。
一律に悪と言えないからこそ
どういったラインまでが許容なのか
考えがいがあると思うんですよね。
よければ
このメールに返信で教えてください。
—– ここまで —–












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